未来へと続く小さな点をこの里山から打つ。点々の始まりと想い。

人の営みとともに在り続けてきた里山の風景。そこには、自然と人間が互いに敬意を払いながら紡いできた、繊細で美しい均衡の世界が広がります。風景とはただ享受するものではなく、心を寄せ関わりを持つことで、その奥深さに触れられるものだと私たちは考えています。
私たちがこの土地で始めた「点々」の活動も、そんな風景の一部となり、未来へと続く小さな点を打つ試みです。この想いと、その背景にある風景について発起人の二人が語ります。
写真右:代表取締役CCO 鈴木 宏平 (nottuo株式会社 代表)
1984年生まれ宮城県仙台出身・武蔵野美術大学建築学科卒。東京から西粟倉に移り住んで14年目の春を迎えている。全国の中小企業にブランディングデザインを提供するnottuo社の経験からマイクロエリアブランド構想に至り点々社を創業。CCO(Chief Creative Officer)として点々ブランドの構築を担っている。
写真左:取締役COO 羽田 知弘 (合同会社セリフ 代表)
1989年生まれ愛知県津島出身。三重大学卒。木材商社を経て、株式会社西粟倉・森の学校に参画。事業部長としてマーケティングや新規事業開発に従事。2022年に合同会社セリフ創業。くくり罠の猟師。
二人の移住、「点々」の始まり。
羽田: 僕と鈴木さんは二人ともこの知社集落に住んでいますが、元々この土地の人ではありません。そんな二人がどうして点々を始めたのかについてお話しさせてください。
僕は大学で林業を専攻しており、その中で地域事例のひとつとして西粟倉村を知り、二十歳の時に初めて勉強しに村に訪れたんです。その時に、前職となる株式会社西粟倉・森の学校(現・エーゼログループ)のメンバーに出会い、「いつかこの人たちと一緒に働きたいな」と漠然と思っていました。
一度は東京の木材商社に就職しましたが、社会人になった自分に再度森の学校の方から声をかけていただき、2015年に移住する決断をしました。なので、もうすぐ10年になります。
鈴木: 西粟倉村との関係で言えば羽田くんの方が長いということになるんだね。そんな中で現在は独立して自分の会社をつくったわけだけど、元から独立しようとは考えてたの?
羽田: そうですね。自分でリスクを取って事業をやりたいとはずっと思っていました。西粟倉で働く中で、自分がやりたいことは木材や林業だけじゃなく、もっと広い意味での地域や田舎の資源、価値を高めてビジネスにしていくことに関心があるなと思い始めて今に至ります。
そして、独立前からやると決めていた養鶏を始めようと準備を始めたのが2023年の9月頃です。養鶏事業をやるにあたっては、ちゃんとお金をつくって鈴木さんのnottuoにブランディングデザインを依頼しようと考えていました。
鈴木: 僕は14年前に西粟倉に来てからずっとデザインの仕事をしてきましたが、この「田舎でデザインをする」ということには、すごく社会的意義があるとずっと思ってきました。
田舎に拠点を置きながら、日本中のクライアントと仕事をする。それは都会にいなければデザインの仕事ができないというこれまでの常識を覆せつつあると思うし、社会に選択肢を増やすという意味で意義がある。
一方で、「田舎にあることの必然性」みたいなところが、自分の中でどこか少しふわっとしていたんです。どこにいても仕事はできることを実践しているが故に、明日どこかに移転しますって言ってもできてしまう。それが少し寂しいというか、もっと地域にコミットできることがあるんじゃないかという思いが常にどこかにありました。
そんなときに、羽田くんから僕たちの住むこの知社集落で立ち上げる養鶏事業のブランディングの相談をされたんです。
養鶏から始まる資源循環。
羽田: そもそも、なぜ養鶏だったのかというところを説明したいと思います。
自分は元々自宅で、狩猟や畑の延長線上にある自給自足の手段として鶏を育てており、今も育てています。そうすると、家で出る生ゴミがほとんど鶏の餌になるんです。例えば魚を1本買ってきて、刺身や煮物にして美味しくいただく。そして、本当に人間ではどうにも食べられない部分を鶏が食べて、それが卵になるという循環がつくれることを面白いと思っていたんです。
鈴木: 羽田くんの話を聞くたび思うけど、鶏って本当に面白いね。
羽田: そうなんですよ。かつては田舎の家の軒先では当たり前のように鶏が飼われていたのですが、スーパーマーケットやケージ飼育が普及していつでもどこでも卵が買えるようになりました。でも、小さな養鶏業が資源循環という形を通して、地域の課題を解決するポテンシャルがあると思い、事業を通して実践してみることにしたんです。
そのため、僕たちが鶏を育てる餌は一般的な輸入配合飼料ではなく、地域の未利用資源を中心にした自家配合のものを与えています。
未利用資源とは、例えば、規格外のお米や精米時に出る米ぬか、農家さんから出る野菜くずといった農業系の廃棄物。他には、地域の地場産業から出る副産物。クラフトビール工場から出るビールの粕、醤油屋さんから出る醤油粕、日本酒の酒粕、豆腐屋さんのおからなど、探してみると色々あります。こうした未利用資源を自分たちで混ぜて発酵させたものを鶏に与えています。
また、鶏が出す糞(鶏糞)は堆肥化して、畑や田んぼの肥やしに使っていく予定です。それで米や野菜を育て、その中で人間が食べられない部分はまた鶏の餌になる。
そうすると、生産性の低い棚田や耕作放棄地のような場所で、飼料用米を育てたり、鶏の餌用の畑にしたりすることもできる。これは自分たちの飼料コストを下げることにも繋がります。
鶏舎は木造で建てていますが、これも村の木材を活用しています。つまり、養鶏業を起点にすると、卵を生産しながら様々な資源循環がつくれるんです。最終的には役目を終えた鶏もお肉として販売します。
鈴木: 羽田くんの養鶏は、どの餌も誰がつくったかを説明できるトレーサビリティの高さを持っている。それは昔なら当たり前だったはずなのに今はすごく貴重になっている。昔の当たり前を、今もう一度当たり前にやろうとしているんだよね。
羽田: 友人や知人からお裾分けしてもらった食べものって美味しいし嬉しいじゃないですか。どんな料理をつくろうかなと、腕も鳴ります。そういう物や関係性がたくさんあった方が人生は豊かだし、僕はそうありたいし、そう思っている人は結構いるんじゃないかな。
養鶏事業から、点々という風景づくりに広がった背景。
鈴木: 羽田くんがやろうとしていた養鶏が持つポテンシャルを聞いたときに、僕としてはそこからさらに事業構想が広がったんです。
それは、単に卵を生産して売るだけでなく、資源循環を生み出すハブになるという点。これはデザインを生業としてきた僕らとしてもやれること、やりたいことがもっとあるぞと。
「だったらクライアントワークとして受けるんじゃなくて、もう一緒にやろうぜ」と。
単なる養鶏事業のブランディングにとどまらず、この里山を未来に伝えるための会社をつくろうとなりました。そうしてつくったのがこの「点々」という会社です。
羽田: 相談した当初は、そこまで話が膨らむとは思っていませんでしたが、これこそが二人がこの土地に住んでいることの価値だと感じますね。
鈴木: 僕がやりたかったのは、自然が持つ驚くほどの可能性や重要性、資産価値を再認識すること。自然と共に生きることは、一見、非効率で不便だらけに見えるけど、実は安全保障や防災の観点からも重要なリスクヘッジになっているし、水や空気、土や木々という当たり前のものが、本来それがなければ人は生きていけないということに気づかせてくれる環境だと思うんです。
でも、その貴重な価値もビジネスという手段を上手に活用しないと、あっという間に衰退してなくなってしまう状況を目の当たりにしている。だから、養鶏を始めることで、田舎の里山が持っている自然資本を価値として再定義できるんじゃないか、という可能性をすごく感じたんです。
それで羽田くんが始める養鶏事業が起点となり、自分たちが住むエリア全体をブランドとして価値をつくっていくことに、思いっきり取り組んでいこうぜ、という思いに至ったんです。具体的には、養鶏業の他にも農や食・宿といったテーマを通して、この知社集落という風景を未来に残すための様々な事業をしていこうと考えています。
羽田: この村は観光地ではないし、日本のどこにでもあるような中山間地域。でも、そこで僕らがやっている養鶏や狩猟、農業といった営みを実際に体験したいという需要はすごくあると感じています。
卵を全国に届けるだけでなく、例えば卵や点々の商品を購入してくれた人が、僕らがつくったお店や宿に来てくれて、泊まって、また帰っていく。そしてまた遊びに来てくれる。そんな関係性が作れるんじゃないかと。
大量の観光客を呼びたいわけではないけれど、僕らの村での生活の延長線上にある事業が、誰かにとっては、お金を払ってでも体験したいものになり得る、という手応えは感じています。
この「半径1kmの集落にどれだけ価値があるか」を世の中に発信すること。
鈴木: 点々を始める上で大事なポイントとなるのが、僕らがいるこの場所は特別な観光地ではなく、日本中どこにでもある普通の集落だということです。
だからこそ、やる意味があると思っていて、「まず僕らがここで点を打ちます」。そして、それをしっかり成立させる。ここでできたということは、日本中どこだってできるはずなんです。僕らの取り組みが、色々な場所で同時多発的に起これば面白いなと考えていますし、全国を見ればそうした想いをもって行動している方々はたくさんいらっしゃいます。
田舎に住む僕らは、経済合理性から外れたからこそ生み出せる「資源合理性」みたいな新しい価値を作れるんじゃないかとも考えています。
羽田: 日本全体をどうにかする、というのは正直よく分からないけれど、自動販売機も横断歩道もない20世帯40人のこの集落で、実際に僕らが住んでいる中で愛着を持っているからこそできることはあるんじゃないか。でもこのままではいずれなくなってしまう風景なんです。そこを残したい、というのが事業を始めた原点です。
売上がすべてではありませんが、「20世帯の集落でも1億円の事業を生み出せたじゃん」と示すことができれば、全国の似たような中山間地に良い影響を与えられるんじゃないかと思います。簡単に稼げるわけじゃないし、簡単に稼げてたまるか、みたいな気持ちもあるけれど。
鈴木: この「半径1km」という範囲で、自分たちがちゃんとコミットできる。それはすごく重要な要素だと思います。住んでいる場所を良くしたい、というのは根源的な欲求だし、それがダイレクトに自分たちにフィードバックされるから、重要なんだと思います。
羽田: 僕の子どもが生まれた時、集落の人たちが「生まれてくれてありがとう」って声をかけてくれる。集落の行く末を考えているからこそ出る言葉だと思うし、すごくありがたい。子どもが大きくなって一人で歩いていても、誰かが見ていてくれる、声をかけてくれる。そういう単位って素晴らしいなと思います。
西粟倉って、「未来を変えられる手触り感」があると思うんです。この村なら、この集落なら、何かできる気がする。そう思っている人は結構いるはず。未来は変えられると思うし、それを自分がやる意味や意義があると感じています。
鈴木: 僕も羽田くんと同じ思いです。そこに唯一足すとしたら、デザインの力。点々のこの取り組みに最初から最後までデザインをちゃんと介在させることが、すごく重要だと信じています。
自然や人の営みに価値がある。それが世界中の人たちに伝わるようにしたり、未来をつくる仲間を増やしていく上で、デザインが果たす役割は大きい。
今までデザインのことばかりやってきた人間が、この田舎で泥臭いことをやっていく中で、ちゃんとデザインを手段として活用していくこと。それが僕らの役割だし、今ここにいる大きな理由にもなると思っています。田舎にいながら、田舎に住みながら、それをやっていきたいですね。
羽田: 点々はまだ始まったばかりですが、僕はお客さんとか取引先とかいうよりも、仲間づくりのプロジェクトだと思っています。点々の後半の「点」が示すように、僕らみたいな小さな集落からでもできると思っているから。いっしょにやりませんか、というのが一番です。